緊張の理由
これには多分に父親の影響がある気がしてならない。昭和一桁生まれの父は、飛行機に乗る事を頑なに拒んでいた。遠方の仕事であっても飛行機に乗る事はせず、どんなに時間がかかろうとも電車を利用していた。家族旅行の好きな父であったが、すべて交通手段は陸路であった。私が初めて飛行機に乗ったのは、友人と北海道に高校の卒業旅行に行った時の事だ。
フェリーなど船舶での移動は間違いなく私の中では「非日常」であるが、一度も緊張したことがない。おそらく転覆の可能性は飛行機の墜落よりも高いと思われるが、こんな大きな物がひっくり返るわけがないと安心している。フェリーの中を散歩したり、レストランで食事をしたり、ベッドで寝たり。非日常でありながらその中で細やかな日常を楽しんでいる。
そうなのだ。飛行機の緊張感の最たる理由は、いつまでも「非日常が続く」事なのだ。まず飛行機に乗る前に手荷物をすべてチェックされ、身体検査も受ける。何も悪いことをしているわけではないのに鼓動は高まっていく。この段階ですでに戦意喪失である。そして機内に入ると離陸前に安全確認のレクチャーが行われ、墜落時のシミュレーションが行われる。そして飛行中も常にシートベルトを締めておかねばならない。飛行機に乗るという一連の流れにおいて、日常は一切入り込む余地が無い。
さらに飛行機が離陸する時、滑走路を思い切り走ってエイヤッと勢いをつけて飛び立つのが不安感を増幅させる。プロペラ機の時代ではあるまいし、21世紀にもなっていまだ力技で飛んでいるのがどうにも解せず落ち着かない。飛行中も時々乱気流などに巻き込まれるのは、現代科学をもってしても回避出来ないものなのだろうか。普段は何も言わない機長が「安全ですのでご安心ください」とアナウンスする事が、乗客の不安をさらに煽る事を知っているのか。安全と言っていながらそそくさと席に座り、素早くシートベルトを締めるCAの姿を私たちは決して見逃しはしない。
しかし、緊張が解けたのも束の間、今度は機内預けの荷物のピックアップが待っている。今まで一度も荷物の不着など経験した事がないのに、自分の荷物は果たしてちゃんと積まれてきたのかが不安になる。そしてベルトコンベヤーが動きだすと、今度は自分の荷物がいつ出て来るのか落ち着かなくて仕方がない。早々に自分の荷物を見つけて、意気揚々とそこから去っていく人たちを恨めしい目つきで見つめ、私の非日常における緊張状態はまだ続いていくのだ。
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